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松本 龍(まつもと りゅう、1951年5月17日 - )は、日本の政治家、部落解放運動家。民主党所属。 元衆議院議員(7期)、衆議院政治倫理審査会会長、衆議院国会等の移転に関する特別委員長、衆議院環境委員長、環境大臣(第15代)、内閣府特命担当大臣(防災担当)などを歴任。部落解放同盟元副委員長。 == 来歴 == === 生い立ち === 福岡県福岡市出身。実家は養祖父の代からの福岡の中堅ゼネコンの松本組で、弟が社長である〔。自身も顧問を務める。 祖父の松本治一郎は、全国水平社を率いて活動し、国家権力の弾圧も受けたが、水平社解散命令にも屈せず、「部落解放の父」と呼ばれた。 福岡市立馬出小学校から福岡市立福岡中学校・福岡県立福岡高等学校に進む。高校時代は新聞部長を務め、「とにかく時間にうるさいことで有名だった」といわれる〔NEWSポストセブン 2011.07.08 16:00 松本龍の娘 父の評判をツイッターで見て「学校に行けない」 〕。3年浪人して〔松本龍『環境外交の舞台裏』p.118(日経BP社、2011年)〕中央大学に入学、二部法学部政治学科を卒業。弟2人と妹1人〔松本龍『環境外交の舞台裏』p.116(日経BP社、2011年)〕おり、父英一は優秀であった次男に国会議員の後を継がせようと考えていたが、1972年10月1日、当時大学1年生であった次男が銀座の路上で心不全を起こして急死したため、長男である龍が父の後を継ぐことになった〔『週刊文春』2011年7月14日号「松本龍復興担当相 暴言!「チーム・ドラゴン」 暴力団幹部と義理の兄弟だった」〕。大学卒業後は実家の松本組に入社し、父の補佐、不動産の管理、営業などを担当していたが〔松本龍『環境外交の舞台裏』p.120(日経BP社、2011年)〕、30歳の頃、自ら副業として保険の代理店を始めた〔松本龍『環境外交の舞台裏』p.121(日経BP社、2011年)〕。傍ら、1980年、父松本英一(参議院議員)の秘書として政治の現場に入る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松本龍 (政治家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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